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およそ30分にわたる闇の中での戦争体験でした。
とても一人では回れない暗闇でした。怖かった。 修学旅行生がいて助かりました。語り部さんの話も聞きました。
負傷兵たちが寝かされていた場所、手術台のかわりになった石、分離された破傷風罹患兵士、切り落とした手足を保管する場所。ひめゆり部隊の女学生たちは外に水を汲みに行くとき「さようなら」と言って爆弾の雨が降る壕の外に出て行ったそうです。
一体、ここで何百人の人間が死んだのでしょう。
洞窟の天井に爆風で突き刺さったままの赤さびたドラム缶の破片、火炎放射で黒焦げの岩肌。まるで、あのときから時が止まったようです。
僕のイマジネーションは到底現実に届かないと思いました。
出口の光が見えたとき、光が生と死生けるものにとってどれだけ大切にしなければならないものかと涙が出そうになりました。
このあと、半日、奇妙な吐き気に見舞われました。 |
LEO 2008/07/31(Thu) 21:25 |
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アブチラガマからほどなく「摩文仁の丘」平和記念公園に到着しました。 |
LEO 2008/07/31(Thu) 21:30 |
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記念ではなく「祈念」でした
沖縄平和祈念公園です。 |
LEO 2008/07/31(Thu) 21:34 |
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追い詰められた住民がここから身を投げたのでしょう |
LEO 2008/07/31(Thu) 21:35 |
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鉄の暴風が吹き荒れた海岸 |
LEO 2008/07/31(Thu) 21:35 |
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